高分子材料と高分子鎖の精密分解科学(高分子精密分解)
プラスチックをはじめとした高分子材料は、その優れた物性と加工性から、幅広い材料分野に利用されている。これまでに、機能性や物性を向上させるための様々な研究が行われ、汎用プラスチックに加えて、エンジニアリングプラスチックや、医療用に使われるような特殊な高分子素材が開発されてきた。一方で、多様な使用環境において、高分子素材の利用中もしくは利用後の分解が深刻な問題を引き起こす例が報告されてきている。例えば、プラスチック製品が完全に分解されずに微小な欠片となったマイクロプラスチックが、多様な海洋生物に対して長期的に悪影響を及ぼすことが、最近の調査において明らかとなってきている。また、生体内において利用されている高分子材料の分解産物が炎症を引き起こすことが多くの症例で顕在化している。これらの課題を解決するために、ストローを海洋分解性高分子により製造する試みや、網膜剥離を治療する生体材料の分解過程における力学物性変化を精密に制御することにより、炎症反応を劇的に抑制する試みがなされている。これらは、全く異なる高分子材料が異なる環境下で利用される例であるが、どちらも高分子の分解挙動もしくは分解過程の力学物性変化を制御することで、優れた材料として利用できる可能性を明示している。しかし、このような例は非常に限定的であり、系統的な理解に基づき一般的な高分子の分解を精密に設計及び予測することは未だ困難である。これは、高分子の機能性および物性向上に偏重した長年の研究開発により、高分子の分解に関する系統的な学術的研究が停滞したことが一因である。
本学術変革領域では、高分子の分解を物理劣化、化学分解、生物代謝に分割することで、高分子の分解機構が、材料の階層構造と物性に与える影響を明らかにし、分解性を考慮した新しい高分子設計指針を、国内外そして産業界に対しても示すことを目標とする。高分子材料が利用される幅広い環境を考慮し、単純なモデル高分子を用いることで、生体内、自然環境下などの利用条件下において、物理破壊、化学分解、および生分解・生物代謝がどのように進行し、物性や機能に動的に影響する分子機構を明らかにすることを目指す。実験ではアプローチできない分子論については、実験から得られた情報を基に粗視化のレベルを判断し、計算科学を導入することで明らかにする。本学術変革領域が達成された暁には、環境へ流出しても安全な高分子、安心して長期間生体内で利用できる高分子材料、さらにクローズド・ループでリサイクル可能な高分子材料など、分解性を精密に設計・制御した高分子を合成・創出する大規模な学術領域へと展開することが期待される。
本研究領域の実施に際し、4つの計画研究と2つの融合研究課題を下記のように設置する。
計画研究A01 酒井(東京大学):動的高分子希薄系を用いた物理劣化のモデル構築(物理劣化)
多様な特性を付与することが可能な高分子ソフトマターであるが、すべての物性は、骨格である高分子網目構造により決定される。すなわち、網目形状と、過渡的結合の時定数だけで物性が決定されると考えられる。網目形状と、過渡的結合の時定数を制御し得られる材料群を体系的に評価し、ソフトマターの分解性を予測する学術基盤を構築することを目指す。
計画研究A02 佐藤(東京工業大学):利用環境下における高分子鎖切断の精密設計と時系列解析(化学分解)
精密重合で培った知見をもとに、化学分解の制御が可能なユニットの設計・高分子鎖へ導入し、誘発分解による精密分解可能な新規高分子材料の設計指針を探索する。それとともに、一般的な高分子について熱、光、酸化、加水分解などの化学的な結合切断が反応機構について、精密に設計・合成したモデル化合物(低分子化合物)やモデル高分子・オリゴマーを熱、光、酸化、加水分解など様々な利用環境下における分子レベルでの結合の切断が生じる反応機構を時系列で評価する。
計画研究A03 沼田(京都大学):分解産物の精密解析と生物環境への影響評価(生物代謝)
物理劣化・崩壊、化学分解、および生分解により生じた分解産物の形態と構造を解析し、微生物、藻類、動物、生体内細胞などに与える環境影響を明らかにする。これらの成果から、分解過程で生じる分解産物および中間体を体系的に評価し、与える生物学的影響を予測する学術基盤を構築することを目指す。生体への影響や、モデル環境生物を利用することで、生物への評価を明らかにし、必要に応じて、同位体元素を利用した代謝物解析を行う。
計画研究A04 畝山(名古屋大学):実効的粗視化による高分子分解シミュレーション(分解予測)
各種分解機構に対応する高分子鎖切断モデルを構築し、分子鎖の切断がメソスケール高次構造の変化にどのような影響を与え、マクロスケールの物性変化(劣化・崩壊)にどのように寄与するのかを明らかとする。シミュレーションから得られた結果は各種実験の解釈に役立てるだけでなく、マクロスケール物性の視点からの適切な条件をフィードバックすることで分子設計につなげる。
融合研究課題P1:時空間効果の学理
高分子の分解が与える影響は、その時間スケールと空間スケール、つまりは分解速度(分解物の生産速度)と分解濃度に依存する。分解自体が同一の分子機構であったとしても、分解速度が異なることで、環境や生物に与える影響は顕著に異なるが、物性などは時間軸には依存しないと予想される。融合課題P1では、高分子分解を多様な環境条件下(海洋、生体内など)で比較することで、高分子分解の時空間効果の学理を追求する。
融合研究課題P2:均一・不均一構造の学理
高分子の分解を研究する際に、高分子の階層構造の有無、つまりは、構造に内在する不均一性は、分解挙動を常に複雑化する。融合課題P2では、高分子の均一性と不均一性に着目した分解挙動の違いを、体系化することを目指す。均一系・不均一系のモデルとして、ゲルのような網目状高分子と、プラスチックのような結晶性高分子を採用し、均一系・不均一系の分解モデルを基に、高分子の精密分解に迫る。